夢うつつ




「まだ、なのかねえ」
金貸しの主人はキセルの煙をゆっくりと吐き出すと、帳場にひじをつきながら目を細めた。
「ご、ごめんなさい。あの、来月・・・来月にはかならず・・・・」
犀はうつむきながら震える声を必死に絞り出した。
取り巻きのひとりが顎に手をかけ上を向かせる。
「おい。いつもいつも来月、来月って、その来月がきたことなんか一度もねえじゃねえか。え?」
「っ・・・」
犀はびくりと身体を震わせ、その大きな目のふちを潤ませた。
「おいおい、こんなかわいこちゃんを泣かすなよ。震えてるじゃねえか」
帳場の内側から主人がのんびりとした調子で男を制した。
主人は帳場に身を乗り出すと顔を近づけ犀の目を覗き込んだ。
「あのなあ、時間が立てばたつほど、払わなきゃいけない分は増えるんだよ。
そこんとこ、お前さんの親は分かってるのかねえ」
そう諭すように言われても犀はただ黙って震えていることしか出来なかった。
ここのところずっと、犀の親は返済の期限が近づくと
日を来月まで延ばしてもらうようにと犀を金貸しのもとへと送っている。
店にはいつもがらの悪い男たちが主人を取り巻いており、犀はそれが怖くて仕方がなかった。
早くこの店の中から出たい。何故自分がここに来なければならないのか。
視界が涙で霞んでゆく。
見られたくなくて慌てて顔をうつむかせると、その拍子に涙が一粒ぽつりと落ちた。
頭のすぐ上で大きく溜息をつく音が聞こえた。
「まったく、お前さんの親も罪だねえ。こんな美人に泣かれちゃどうしようもねえや」
主人は諦めたような表情で白い煙を口の端から吐き出した。
けれど他の男がそれに反論する。
「おやじさん、甘いよ。いくら子供だろうが、可愛かろうが、いちど痛い目あわせたほうがいいんだよ」
その言葉に、犀は俯いたまま再び身体を硬くした。
「おどかすな。そういうのは俺の趣味じゃない」
つまらなそうにそっぽをむく男を無視して、主人は犀の頭に手を載せた。
「いいかい。今日のところは帰っていいけどね。本当に来月、払えなかったら私たちがお前さんの家に直接行かなきゃならない状況だってあるんだ。そうなったら痛い目にあうどころじゃない。わかったかい?」
―帰れる。
そう思って犀はとにかく必死で首を縦に振った。
「そうか。じゃあちゃんと親御さんに伝えるんだよ」
犀はもう一度頷き、軽く頭を下げると慌てて暖簾をくぐって外に出た。
早足で少し歩いたところで立ち止まり、ようやくほっと息を吐き出した。
けれどすぐにまた絶望的な気分になる。
今からまたあの家に戻らなければいけない。
店をつぶしてから酒ばかり飲んでいる父と母。
寂しい。誰か助けて。
そう叫びだしたかった。
けれど犀はその泣き言を聞いてくれる相手を知らない。

足元を見詰めながらとぼとぼと歩いていると、急にふっと辺りが暗くなった。
驚いて顔を上げるとそこは家の中だった。
目の前の襖が少し開いている。
犀は鼓動を覚えながらその襖に手をかけた。
開けた瞬間目に飛び込んできたもの。
青黒い顔の両親の死体。
畳に散らばる白い粉。
枕元に置かれた封筒の「遺書」の文字。
自殺に使われたであろう毒薬が微かに鼻をついた。
犀は吐き気を感じてその場に座り込んだ。
―お父さん、お母さん。








目を開けると目の前には裸の胸があった。
ゆるゆると首を回し、今自分がどこにいて何をしているのかやっと分かった。
見上げるとそこには逸巳の美しい寝顔が行燈の灯りに照らされていた。
犀はほっと胸をなでおろした。
最近は少なくなったものの、両親が死んでから犀はその前のことと、
両親の遺体を発見したときの夢を良く見た。
そういったときは必ず涙をながす。
今回もないていたのだろう、目の前の胸が微かな明かりに濡れて光っていた。
まだまだ辺りは暗い。
犀は逸巳を起こさないようそっと布団の中で腕を動かすと自分の頬に手を触れた。
微かに濡れた感触が指先に伝わった。
「ん・・・」
頭の上から声が聞こえ、はっとして見上げると逸巳がうっすらと目を開けていた。
「あ・・・ごめんなさい。起こしちゃって・・・」
犀がそう囁くと逸巳は柔らかく微笑み、犀を抱く腕に力を込めた。
そして改めて犀の顔を見ると微かに目を見開いた。
「・・・嫌な夢でも見ていた?」
そう問われて犀は自分の頬が濡れていたことを思い出し慌ててぬぐった。
逸巳はそっと犀の頬に手を沿え、上を向かせると顔を近づけ目じりに口付けを落とした。
そのまま頬、鼻、そして唇へ。
そのあまりにもやさしい口付けに、犀は再び涙がこみ上げるのをこらえながら逸巳にしがみついた。
逸巳がふと笑う気配がした。
「そんなふうにされると、困るな」
犀がきょとんと見上げると、逸巳は体制を入れ替え犀の上に覆いかぶさった。
下半身に逸巳の微かな昂ぶりを感じ、犀は顔を赤くした。
「夢の事なんか、忘れさせてやる」
耳元で低く囁かれ、犀はぞくりと背筋を駆け上がるものを感じていた。
逸巳はゆっくりと顔を移動すると、再び犀に口付けた。
ゆっくりと口内を弄られる感覚に、犀は身体を熱くする。

ぼうっとし始める頭の中に、それでも夢で見た両親の顔が浮かぶ。
きりきりと胸が嫌な感じに痛む。
犀は必死で逸巳のことを考えた。
それでもやはり胸はいたむ。
けれどそれは暖かさも、切なさも、甘さも、すべて含んでいる気がする。
「犀・・・」
柔らかい声で名前を呼ばれ、犀は突然涙ぐみたい思いに駆られた。
それと同時に性器に直接触れられる。
快感に頭が一瞬白くなる。

いつしか犀は本当に夢のことなど忘れ、快楽と逸巳のことしか考えられなくなる。

そうして眠りに落ちる頃には、心地よい疲労と共に暖かい思いが胸に満ちる。

どうか今度こそ幸せに。

どうか今度こそ、やさしい夢が見られますように。

夢とうつつの狭間で、犀は、そう、願うのだった。







(4/14/2005)




小説目次
 
7777HITキリリクのSSでした。「蝶」の番外編というどちらかというと枠の広いリクエストだったのですが、こんなものでよかったでしょうか・・・(><;
えろえろか爽やかか決めかね、なんだかちょっぴり中途半端になっちゃった気もするのですが、なにはともあれ、リクエストありがとうございました。これからもよろしくお願いしますv