埋もれる花





「綺麗だね」
ぼくの隣で、晋一がそっと囁いた。
その肩に、髪に、さらさらと桜が降り注ぐ。
ぼくが繋いでいた手にそっと力を込めると、晋一が驚いたようにこちらを向いた。
けれど次の瞬間、ふっと笑うと、ぼくをそっと抱き寄せた。
自分の顔が熱くなるのが分かった。
「し、晋一・・、」
赤くなって見上げるぼくに、晋一はやさしく口付けを落とす。
「大丈夫、木の陰だから、誰も見ていないよ」
そう言って再び、晋一は顔を近づける。
ぼくは眩暈を覚える。
晋一のその美しさに。
晋一が、ぼくを愛しているという現実に。



ぼくらはよく、こうして校庭の桜の下で花見をする。
なにをするというわけでもないけれど、
ふたりで手を繋いで、桜の雨の中に身をおいて、ときどき、口付けをする。
目を閉じ晋一の唇を受け止めていると、ふと、焦燥に駆られる瞬間がある。
まぶたを開いたとき、晋一がまたあのときのように跡形もなく消えてしまっていたらどうしようと。
そんなときぼくは晋一のからだを抱きしめる。
そうすると、晋一もぼくを強く、抱き返してくれる。
そしてぼくは安堵する。



「ん・・・・」
浅かった口付けはいつの間にか深くなり、ぼくは夢中で晋一の熱い舌にこたえる。
あまりの気持ちよさに、体中の力が抜ける。
ぼくは熱に浮かされたように晋一にしがみついた。
抱きしめ返される力強さにぼくは幸せを覚える。
すると突然、晋一がシャツの裾から手を忍び込ませた。
ぼくは驚き、慌てて身を離した。
「だ、だめだよ、晋一・・」
晋一は、頬を染めて慌てるぼくをじっと見詰めた。
「・・・まだ、怖い?」
晋一の澄んだ黒い瞳がゆらりと揺れる。
ぼくは俯いた。
晋一は、分かっている。
ぼくのなかにある恐怖を。
誰かに見つかるかもしれないなんていうこと以外の、恐怖。
「・・・ぼくはどこにも行かないよ。充哉。あのときみたいに、君をひとりにしたりしない」
晋一は穏やかにそうささやくと、ぼくを再び抱き寄せ、額に唇を押し付けた。



晋一は、覚えている。

はじめ、ぼくは転校してきた晋一をみて、とにかく混乱していた。
ただただ晋との出来ごと、あの庭でのできごとを思い出し、あふれそうになる涙を必死にこらえていた。
晋一はそんなぼくの手をひき、屋上の踊り場の影までつれていき、こう囁いた。
「充哉。ぼくは全て覚えてるんだ」、と。
晋一が言うには、「ぼくはある朝目覚めたら、晋一だった」そうだ。
けれど、晋一は、全てを覚えている。
晋であったこと。あの庭で起きたこと。ぼくとのこと。
長い間、孤独で過ごした時間のこと。
晋一はそれらのことをぽつり、ぽつりと話してくれた。
「晋一」の両親は晋一が気付いたときには亡くなっていたらしい。
部屋には写真があるけれど、晋一としての、両親との記憶はあまりなくて、
それより、晋だった頃の家族のことのほうが、鮮明に焼きついているらしい。
一度、ぼくは聞いたことがある。
なぜ、晋はそんなにも長い間独りで時をさまよっていたのかと。
けれども晋一は答えない。
悲しそうな顔をするだけ。
きっと。きっといつかその傷癒えるとき、または
ぼくにその傷を見せるこころの準備ができたとき、晋一は話してくれる。そんな気がする。
ぼくはそれまで待とうと思う。



「充哉。ぼくは、充哉を抱くたび、充哉が怖がるのが分かる」
晋一は、物思いに耽るぼくにそう囁いた。
その温かな手がぼくの髪を梳く。
「抱くときだけじゃない。キスをするときも、話をしているときも、手を繋ぐときも、
いつも、いつも、充哉の瞳の奥には不安が見える」
髪を梳く手がふと止まる。
ぼくはどきりとした。
「ねえ、もうなにも怖がることなんかないんだ。ぼくはずっとここにいるんだから」
そう言って、晋一はぼくのことをきつく抱きしめた。
「・・・だから、充哉。確かめて。もう一度、ぼくと、桜の下で身体を重ねて」
ぼくは思い切り晋一の肩口に顔を押し付け、そのにおいを胸に満たした。
そして、小さく頷いた。

晋一はもう一度、ふわりとぼくの額に口付けを落とすと、ぼくを木の幹に押し付けた。
口付けを交わしながら、晋一がぼくのシャツのボタンを外してゆく。
その合間、唇を話した途端、桜の花びらがぼくの唇に舞い降り、
ぼくと晋一は顔を見合わせ、思わずくすりと笑いを漏らした。
けれど次の瞬間、ぼくの胸にはなんだかわけがわからず、涙っぽい思いが広がった。
思わず目じりに浮かびそうになる涙。
晋一はそんなぼくを察してあたたかい微笑を浮かべると、ぼくのあらわになった胸へ、愛撫をしはじめた。
「・・・ぁっ」
晋一の舌が、下へ下へと降りてゆく。
ぼくが耐え切れずに桜の根元にずるりと座り込むと、そのうえに晋一が覆いかぶさる。
その背に降り注ぐ、桜の雨。
ぼくは不安を覚えた。
愛撫に息も絶え絶えになりながら、ぼくは晋一を離すまいと、必死に名前を呼んだ。
「は、・・ゃ、・・・っ、しん、いちっ・・・」
「充哉・・・」
答えてくれる声が、なによりもうれしい。
それでも晋一の肩越しに散る桜をみるたび、ぼくの胸には不安が満ちる。
晋一を身の内に受ける頃には、ぼくは涙を流していた。
身体からくる痛みだけではない、涙。
あのときと同じ光景、同じ痛み、同じ快感。
「やだ、っ・・や、しんいちっ・・・」
みっともなく泣いて、叫びだしそうになるぼくの口を、晋一はやわらかく塞ぎ、そして囁く。
「充哉・・・・充哉・・・愛してる。・・・ぼくは、どこにも行かないよ・・・」





ぼくはぼんやりとした頭で晋一の指先を追う。
綺麗な長い指がシャツのボタンをはめてゆく。
ぼくが晋一の顔を見詰めると、晋一は気付いて微笑を浮かべる。
あたたかい。
晋一は、ここにいる。
息も詰まりそうな幸福に、ぼくは埋もれてしまいそう。

ぼくはまた、不安を覚えるかもしれない。
それでもきっと、大丈夫。
もう、幸福に、埋もれることはあっても、不安に埋もれてしまうことはない。
そばには晋一がいるのだから。
ぼくの、そばには。





ぼくらはまだ知らない。

あの、古びた日本家屋、その庭に植わる死んだ桜の木の根元。
小さな若葉が芽吹いていることを。
それは将来、きっと木になり、花を咲かす。

きっと・・・・。





Fin

(5/3/2005)




小説目次
 
「桜雨の庭」の、その後の晋一と充哉でした。いくつか「桜雨・・の、その後のふたりの幸せな姿がみたい!」というようなご感想、頂いたのでちょっと書いてみました。長編も是非読みたいですとのご意見も頂いたのですが、長編となるといまだ書く決心がついていないので、まずは続編から・・・。感想とか感想とか感想とかいただけるととってもうれしいです。
 


ご意見・ご感想

(日記でのお返事が欲しくない方は、文末に「*」を付けてくださると助かります。)