蝶 
 
 
 
枕元の行燈が微かに揺らいだ。

その光に照らされた少年はその美しい顔をこわばらせていた。
その少年を組み敷く青年もまた、目の覚めるような美貌の持ち主であった。

青年の長く綺麗な手が少年の白い胸をすべる。
少年はその行為にびくりと反応し身を強張らせた。
そんな少年の耳元に青年は唇を寄せそっと囁く。
「だいじょうぶ。力を抜いて。すべて俺に任せていればいい」
けれど色を含んで囁かれたその言葉はこれからおこることを想像させ、
少年の不安を余計にあおるだけであった。












おかしい。
いつもなら両親はとうに起きている時間だった。
そして疲れきった自分を再びこき使うために起こしにくるはずだ。
なんとなく胸騒ぎを覚えて両親の寝床へと向かった。
そっと部屋の障子を開けた次の瞬間
目に飛び込んできた光景に言葉を失った。

布団の上に転がる二つの身体。
醜くゆがんだ青黒い顔。そこらじゅうに散らばる白い粉。
間違いなくそれら二つの身体は両親のものだった。
自分でも体が震えだすのがわかった。
枕元にある封筒に目を留めるとそれは遺書だった。
そこでやっと散らばっている粉は毒薬だと分かった。
毒薬だと分かった途端、ほんの微かに感じたにおい。
吐き気がした。
気づくといつの間にか涙が頬を伝っていた
それが両親を失った悲しみからくるものなのかそれとも安堵の涙なのかはわからない。
いや、本当は分かっているのかもしれない。
ただ今は動かなくなったその二つの身体を見つめていた・・・。




「犀!!セイ!いいかげん起きな!」
犀と呼ばれた少年はその声に目を覚ました。
心臓がどきどきと脈打っている。
天井の木目が目に入り、犀は自分が夢を見ていたのだということに気づいた。
けれどその夢は紛れもなく実際に起こったことなのだ。

五日前、犀の両親は犀を残し自ら命を絶った。
服毒自殺だった。
枕元に添えてあった遺書には、借金苦による自殺だと、綴ってあった。
それから今日までの五日間はめまぐるしく過ぎた。
家で一人途方に暮れていた犀は三日前、
両親の残した借金のためこの遊郭の一角にある男娼屋、『白柳』に売られたのだ。

「犀!なにボーっとしてるんだい」
その声に犀は我に返り布団から身を起こした。
男娼屋の主人の娘、茜が両手を腰にあてて障子の脇に立っていた。
茜は口も悪く一見怖く感じられるが実は気のいい娘であるのを
犀はここ三日間世話してもらって感じていた。
「茜さん・・・」
犀がまだすっきりとしない頭で茜を見つめると、茜はふと表情を緩め
犀にそっと近づき布団の脇の畳に正座した。
「・・・両親が死んだばかりで辛いだろうけど・・・まあ・・・早くそのことは
わすれちゃいなね。なにしろあんたは今日初めて店にでなきゃなんないんだからさ」

「はい・・・」
そう頷いたものの犀は自分でもよく分からなかった。
両親が死んで自分は辛いのかどうか。
両親がいてもいなくても、犀の孤独は変わらない気がした。
むしろ安堵している。
犀の両親は犀を朝から晩までこき使い、時には激しく切諫し、食事も満足に与えないことすらあった。
そんな日々から比べるとここの暮らしは数段良いものにさえ思えた。
少なくとも犀に理由もなく暴力を振るうものはここにはいない。
けれど、血のつながりとは不思議なもので、そんなふうに扱われていてもやはり親は親だった。
両親が自殺したという衝撃が薄れると、心の中には確かに寂しさと悲しみが残ったのである。


「それにしても・・・」
そう言って茜は溜息をついた。
「幸か不幸か、あんたとびきりの美人だからね・・・。
すぐ客はつくだろうけど・・・あんたとしちゃうれしくないだろうねえ・・」
犀はその言葉を聞いて不安げに瞳を揺らした。
男に抱かれるということを思うと犀は少なからず恐怖を覚える。
それは犀にとってまったくの未知だった。
犀は十六。女との経験すらまだないのだ。
茜はにこりと笑いぽんと犀の頭に手を置いてから勢い良く立ち上がると元気に言った。
「ま、客が付けば付くだけあんたもいい暮らしができるだろうし、がんばんなね。
わかんないことがあったらあたしに聞くんだよ。いいね」

犀がこくりと素直に頷くと茜は満足そうに微笑んで部屋を出て行った。





夜、店に灯がともる頃。
遊郭一帯には遊女の媚を含んだ声や三味線の音、客の笑い声などが満ちる。
ここ『白柳』で働く少年達は犀を合わせて全部で六人。
犀を除くそれぞれが格子の外に手を伸ばしたり着物のあわせを少しはだけて見せたりしながら
必死で客の視線を惹きつけようとしていた。
そんな中、犀はひとり格子の内側の隅で緊張し、俯いて正座していた。

「お前、そんなんじゃ客取れないぞ」

突然声をかけられ犀が驚いて顔を上げると
そこにはここで同じく男娼として働く少年が犀を見つめていた。
まだ少し幼い雰囲気を纏う犀とは違い、
職業柄だろうかその少年はどこか大人びた色香を放っていた。
体格も壊れそうなほどはかなく華奢な犀と比べると
細いながらも幾分しっかりとしている。

犀が黙ったまま見つめているとその少年は微笑んで言った。
「俺、宗二朗っていうんだ。お前は?」

「僕・・・僕は犀」
「へー。セイか。よろしく」
そう言って宗二朗はにっこりと笑った。
その笑顔につられて犀もぎこちなく笑顔を返した。

「とにかくさ、俯いてそんなとこ座ってちゃ付く客も付かないぞ」
「う、うん」
そう頷いた犀の手を宗二朗が取ったとき。

「宗二朗!そんな奴ほっときなよ」
今まで客引きをしていた少年の一人が宗二朗に向かって言った。
『白柳』で働く男娼の中でもひときわ小柄な少年だった。
その少年の言葉を機に他の少年達も次々と犀を罵倒する。
「そうだよ。この世界じゃ甘えてる時間なんかないんだぜ」
「そうそう。そいつ、自分だけが不幸だと思ってるんじゃないの?」
「ただ顔がいいからっていい気になるなよな」

そういった少年達の言葉から守るように宗二朗は犀の前に立って言った。
「お前ら、セイがキレイだからって嫉妬してるんだろ。客をとられやしないかって。
そういうのみっともないと思わないのかよ。
仲良くしろとは言わないけど、俺が何しようが勝手だろう?」
宗二朗の言葉に少年達は一斉に静かになった。

犀はそんな宗二朗の後姿を不思議な気持ちで見つめた。
犀が両親から罵倒されるとき、
かばってくれる人がそばにいたことはなかった。

「・・・・・宗二朗がそう言うなら・・・」
一番最初に声をあげた小柄な少年がぽつりと言った。
それと同時に他の少年達も気まずそうに視線を格子の外へと戻した。

少年達が再び客引きを始めると
宗二朗は犀を振り返ってにこりと微笑んだ。
犀はその笑顔に素直にうれしくなった。
「ありがとう」

そう言って微笑んだ犀は確かに誰もが嫉妬する程の美貌を持っていた。
宗二朗は微かに目を見開いた。
そして宗二朗が犀の頬に手を伸ばしかけたときだった。


「犀!初めてのお客が決まったよ!」

その茜の声に宗二朗ははっと手をひき、犀は笑顔を消しその身を硬くした。

格子の外に視線を向けたまま一人の少年が揶揄するように言った。
「せいぜいお客様に奉仕するんだな」
他の少年もつられるようにくすくすと笑い犀を脅した。
「激しい客は朝方まで付き合わされるぞ」
宗二朗はその少年達の背をにらみつけると犀に向き直ってやさしい笑みを浮かべた。
「がんばってこいな」
犀もうなずき笑い返そうと思ったが緊張でうまくいかなかった。
犀はそのまま立ち上がると重い足取りで茜ものとへと向かった。






 
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