犀はうっすらと目を開けた。
もう一度目を閉じると、ゆっくり意識が覚醒するのを感じた。
ゆるゆると重い瞼をあげれば、そこは愛しい人の腕の中だった。
ふたりを覆う上質の布団に、犀はもぞりと身体を動かし、そこでやっと気がついた。
―ああ、ここは、もうあの昔の家でも、遊郭でもないんだ。
犀は事実を打ち明けたときの茜の顔を思い出し、忍び笑いをもらした。

「なんだってえ!?」
宗二朗と犀を目の前に、茜は耳鳴りがするほど大きな声で叫んでいた。
「あんた・・・本気で言ってんのかい・・逸巳って旦那が、その、犀の親を殺したって?」
全てを洗いざらい話した宗二朗と犀に、茜は驚愕していた。
けれど最終的に、幸せそうに笑う犀を見て、茜も良かったじゃない、と笑ってくれた。

逸巳が犀を身請けしてから、ひと月がたとうとしていた。
いまだに犀はここのあたたかく穏やかな生活になれることが出来ない。
過ぎる幸せに時折不安を感じる犀を、逸巳は何度安心させようと抱きしめたか分からない。

逸巳はあの後、毒薬と麻薬の売買から足を洗った。
今は片桐の家をでて、純粋に薬だけを売っている。
それでもまだ、逸巳は犀の両親を殺めたことを激しく悔いている。
犀は時折それを感じるのだった。
それは犀も同じで、両親の死によって手に入れたこの幸せに、後ろめたさを感じている。
けれどいつか許されてもいい日が来るのではないか。
犀はそう思いながら、日々、後ろめたさを感じても、その苦しさを受け入れている。


今、宗二朗は叔母と一緒に小さな村でひっそりと暮らしているそうだ。
逸巳は売ったときの金額に少し上乗せし、宗二朗を形だけ身請けした。
静かな自給自足の生活だけれど、それなりに幸せだと、一度届いた便りに綴ってあった。
宗二朗の叔母の字で綴られてあるその手紙を、字の読めない犀は逸巳に読んでもらった。
最近逸巳に習いだした文字で、犀はいつか宗二朗に便りを出したいと思っている。


「ん・・・・」
微かな声に、犀ははっとして顔を上げた。
そこには目を覚ました逸巳の顔があった。
逸巳は犀を見詰めてほほえむと、いつものようにやさしく声をかける。
「おはよう」
「おはようございます」
逸巳は犀にふわりと口付ける。
こんなささいな瞬間が、犀には涙ぐみたいほど、幸せだった。

犀は逸巳の胸に頬をつけた。
逸巳の心音を感じる。

「ずっと、ずっと、逸巳さんのそばにいさせてくれますか」
犀はひそかに胸でそう囁き。
「一生、離すものか」
逸巳はそう、腕に力を込めた。


庭にはくちなしが香り、夏の到来を告げていた。
































完 (5/13/2005)




 
 <小説目次
 
蝶、やっとのことで完結です。私ののろのろ更新のせいで、えらく完結までに時間がかかってしまいました・・・。兎にも角にも、本編、最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご感想いただけるととてもうれしいです。
 


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