「逸巳さん・・・」 犀は茜に教えられた挨拶も礼儀も忘れ、ただただ驚いて逸巳を見詰めた。 そんな犀の様子に逸巳はくすりと笑った。 「早く障子を閉めて、こっちにおいで」 「あっ、は、はい」 犀ははっとして中に入ると障子を閉め、酒を運んだ。 そのまま布団の脇に座り、昨日のお礼を言おうかどうか迷っていると逸巳が口を開いた。 「昨日は良く眠れたかい」 「あっ!はい。あの、ありがとうございました。逸巳さんが僕のためにお金、置いてってくださったって・・・」 すると逸巳は一瞬目を見開き、そして苦笑を浮かべた。 「なんだ、あの茜という娘。俺は言うなと言ってあったのにな」 その言葉に犀はなんだか自分が言ってはいけないことを言ってしまった気がして焦った。 「あ、でも!茜さん、悪気があったわけじゃなくて・・・だから・・・・」 慌ててそう言う犀に逸巳はやわらかく微笑んだ。 「大丈夫。別に怒ったりはしていないよ」 その言葉に犀がほっとしていると、逸巳はゆっくりと犀の近くに移動し腰を下ろした。 そして犀の顎に手をかけ上を向かせる。 犀は逸巳の柔らかだけれどどこか艶めいている視線に見詰められ顔を熱くした。 逸巳はそのまま顔を近づけ犀に口付けた。 「ん・・・」 思わず犀は声を漏らす。 ながいながい口付けだった。 「ふ・・・」 糸を引いて唇が離れる頃には犀の頬はうっすらと紅潮していた。 逸巳はそっと犀を抱き寄せると背中を掌で上から下に撫で、腰の辺りで止めた。 「まだ痛む?」 咄嗟に何のことを聞かれているか分かり、犀は頬を染めた。 昨日初めて男を受け入れた部分は確かに痛む。 犀が控えめに頷くと逸巳は身体を離した。 「今日はこのまま寝ようか」 「えっ・・・」 犀は咄嗟に顔を上げた。 逸巳は微笑んだまま犀を見詰めていた。やわらかな笑みだった。 しばし、ふたりの間に沈黙が流れる。 先程まで逸巳が腰掛けていた障子窓の下からは、にぎやかな三味線の音や遊女の声が小さく登ってくる。 犀は戸惑った。 「な、なんで・・・・」 「初めてだったんだから辛かったろう。あまり無理はさせたくない」 「でも・・・・、僕、お金もらってるんです」 困ったようにそう言う犀の耳元に逸巳は口を寄せた。 「今日の分はまた今度もらうよ」 犀はどきりとした。 逸巳はそのまま布団に横になると隣に犀を寝かせた。 犀はおとなしく逸巳に従った。 逸巳の腕が犀を包み込む。 なぜだか犀は胸が締め付けられる思いがした。 腕が温かい。 涙が出そうになるのを必死でこらえた。身体が震えた。 ああ、そうか。 こんなふうに温かい腕の中に抱かれたのはいつが最後だったのだろう。 頬を一筋涙が伝った。 逸巳は黙って犀の頭を撫でると、旋毛にふわりと唇を落とした。 また一筋、もう一筋、と、犀の頬を涙が伝う。 犀は目を閉じた。自分を落ち着けるように逸巳の胸のにおいを吸い込んだ。 と、その瞬間、犀は咄嗟に目を開けた。 今気付いたが、逸巳からは不思議なにおいがする。 どこかで、嗅いだことのあるような、ないような。 そんな香りが鼻腔をつく。 犀はそっと逸巳を見上げた。 目が合うと逸巳は微笑んだ。そして再び旋毛に口付けた。 犀も再び顔を胸にうずめると、そのにおいを嗅ぎながら目を閉じた。 どこで。どこで嗅いだ香りなのだろう。 でも、もしかしたら勘違いかもしれない。 そんなことを思いながら温かい腕に身体を任せているうち、 犀はいつのまにかまどろみのなかへと落ちていった・・・。 犀は頭をふわりと撫でられる感覚にうっすらと目を開けた。 次の瞬間には自分の身体を包む重みを感じ、安堵した。 まだとろとろとする目で見上げると、逸巳はもう目を覚ましていた。 あたりはもう明るい。 「あ・・・おはようございます」 逸巳は犀の頭に置いた手を背中にまわして微笑んだ。 「おはよう。もう少し、犀の顔を見てから行こうと思っていたんだけど、起こしてしまったね」 「そんな・・・。今日は僕にも見送らせてください」 犀がそういうと逸巳はありがとう、と囁いて再び犀の髪を撫でた。 そのまま少し布団の中で過ごした後、ふたりは店の階下へと降りた。 暖簾をくぐり、店先へ出たところで、逸巳が思い出したように言った。 「そうだ。犀。少しここで待っていてくれないか」 犀が首をかしげながらも頷くと、逸巳は再び店の中へと消えた。 中からは店の主人を呼ぶ声がする。 それからふたりがぼそぼそと話す声。 犀は聞き耳を立てたが良く聞こえない。気になって中へ入ろうとしたとき、逸巳が暖簾から顔を出した。 「悪いね、待たせて」 「あ、いえ・・・。店の主人となにかお話してたんですか?」 「ああ、また来ると言っておいた」 「えっ、」 「言っただろう。昨日の分はまた今度もらうよって」 逸巳は艶っぽく笑い犀の肩を抱いてそう囁いた。 犀は頬を赤くした。 通行人が気になり俯いた。 逸巳が笑う気配がしたかと思うと、肩を抱いていた腕が離れた。 「じゃあ、またね。犀」 そう言って歩き出す逸巳に、犀は慌てて頭を下げた。 「あ、ありがとうございました」 逸巳は肩越しに薄く微笑み、そのまま遠ざかっていった。 犀はその背中をしばらくぼんやりと眺めていた。 犀は昼頃まで仮眠をとった後、風呂場へ向かった。 ひとりになり冷静に昨日の晩を思い出す。 すると他人の、しかも会って二日目、そんなひとの胸で涙を流してしまったことがとんでもなく恥ずかしく思えた。 とても子供だと思われたに違いない。 いや、自分は子供だ。と犀は思う。 両親が死ぬ前、あんな辛い中にあってもどこかで両親は自分のことを愛してくれていると信じてた。 死ぬほど寂しかったけれど両親が優しかった頃のことを思い、 いつかまたあんなふうに抱きしめてくれると信じてがんばった。 けれど両親がこの世からいなくなり、犀の心からは寂しさがあふれ出した。生活は楽になったというのに。 そんなところにあんなふうに抱きしめられるから泣いたりしてしまったのかも知れない。 犀はそんなことをぐるぐると考えながら着物を脱ぎ、引き戸を開けた。 むっと湯気が立ち込める風呂場。 目を凝らすとそこには先客が湯船につかっていた。 話したことはなかったが、犀に罵倒を浴びせた少年の一人だった。 少年は犀を見ると一瞬目を見開いたが、何も言わず目を逸らした。 犀は気まずさを覚えた。 「あの・・・ごめん・・・」 犀がそう言って戸惑いがちに風呂場を出て行こうとすると、少年のぶっきらぼうな声が聞こえた。 「別に出て行かなくても、一緒に入ればいいだろ。この風呂、狭いわけじゃないんだし」 犀が驚いて振り向くと、少年は湯船の中で目を伏せていた。 「ありがとう」 犀はそう言い、かけ湯をして同じ湯船に入った。 昨日とは違い、湯は少し熱いくらいだった。 湯気が立ち込めるなかふたりはしばらく無言でいた。 ぽつりと、少年が口を開いた。 「おとついとか、ごめんな」 突然の謝罪の言葉に、犀は目を見開いて少年を見詰めた。 少年は目を伏せたまま続けた。 「俺、お前のこと、来たときから綺麗な奴だなって気になってたんだ。友達になりたいと思ってたんだけど・・・ ・・・やっぱ、言い訳かもしれないけど、・・・恭につられたところもあって・・・。 悪かったな。別にお前が悪いわけじゃないのに・・・」 湯のせいかもしれない。少年の頬は心なしか赤かった。 犀は微笑んだ。 「ありがとう。大丈夫だよ。僕、気にしてない」 「ほんとか?」 少年は顔を上げた。うれしそうに微笑んでいた。 「俺、弥一っていうんだ」 「うん。僕は犀だよ。よろしく」 微笑むと、少年の頬がさらに赤く染まった。 さっと犀から視線をそらした。 「あ、お、俺からだながそ」 そう言って弥一はざぶりと湯船から上がった。 「あ・・・・ぼ、僕も」 一瞬ためらったが、犀も弥一の後を追って湯船から上がる。 昨日、宗二朗に背中を流してもらって、風呂場で同姓に裸体をさらすことへの抵抗は薄れていた。 それどころかそうすることによってよりお互いに親密になれる気がしていた。 けれど腰掛を取ろうとしたときだった。 弥一の動きが止まった。犀をじっと見詰めている。 犀は急に恥ずかしさを覚えた。 「な、なに・・・・?」 弥一は微かに口を開いたが、そこからは空気がそっと吸い込まれる音がした。 「・・・セイ、凄い、綺麗」 一拍おき、かろうじて、かすれるようにそう言うと、弥一は思わず犀の薄く白い胸に触れようと手を伸ばした。 犀はびくりと後ろに一歩下がった。 その途端、足元の湯に足を滑らせ、犀の身体が後ろに傾いた。 犀は反射的に前にあった弥一の腕をつかむ。 同時に弥一もバランスを崩し、犀と共に板間に倒れこんだ。 弥一の足元にあった腰掛が風呂場いっぱいに音を響かせて転がった。 「いた・・・」 背中を思い切り打ち、犀はそのあまりの痛さに涙をにじませた。 「弥一・・・だいじょうぶ?」 上に覆いかぶさる弥一を見あげたとき、犀は下腹部に当たるものに気付き顔を赤くした。 弥一の息が微かに荒い。その下半身は硬直し始めていた。 「や、弥一・・・ちょ・・」 どいて、といおうとしたその言葉を飲み込むように、弥一は犀に口付けた。 「んー!!」 突然のことに、犀は顔をよじって抵抗しようとしたがその顔を無理やり押さえつけられる。 舌を差し込まれ、執拗に口付けられる。 その間にも弥一は片方の手で犀の滑らかな肌を弄る。 口付けは唇から顎、首筋、そして胸へと滑り、口を開放された犀は思い切り叫んだ。 「やだ!やめて!」 けれど次の瞬間、犀自身をぬるりとした感触が包み、犀は背を弓なりに反らせた。 「っ・・・あっ!!」 弥一が犀の両足をつかみ、その間に顔をうずめている。 他人が自分の性器を口に含んでいる。 その事実に犀は驚愕したが、次の瞬間にはしびれるような快感に目を眩ませた。 「は、ぁ、・・・・やっ・・・・」 風呂場には水音が響く。 頭ではいやだと思っても、指先まで力が入らない。 いつしか犀の抵抗は弱くなり、快感の波へと飲まれていった・・・・・。 |
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