犀は弥一の口の中であっけなく達した。
信じられない思いで呼吸を整える犀の視界の端、口の中のものを嚥下する弥一の姿が映った。
恥ずかしくなりぎゅっと目を閉じる。
するとさらに信じられないことに、弥一は犀の後ろに舌を這わせ初めた。
犀は思わず上半身を起こそうとした。
「やっ!やだ!弥一!!やめてっ!」
風呂場に声がこだまする。
もがく犀は目元にうっすらと涙を溜め、それだけで扇情的だった。
弥一は無視して犀の両足をがっちりと押さえ込み再び身をかがめる。

と、そのときだった。
風呂場の戸ががらりと開いた。
ふたりははじかれたようにそちらを向いた。
一瞬、その場の空気が止まった。
そこには、宗二朗が着物を纏ったまま立っていた。
途端、その頬がすっと白くなったとおもうと、次の瞬間、
宗二朗は物凄い勢いで犀を組み敷いている弥一に近づき、
そのまま力任せに拳で殴りつけていた。
「うっ・・・!」
弥一は後ろ向きに倒れ、顔を抑えてうずくまった。
さらに宗二朗はその上に馬乗りになると無言で弥一をなぐり始めた。
さすがの犀もその形相に恐怖を覚え、慌てて立ち上がると止めに入った。
「宗二朗!宗二朗!そんなにしたら・・・っ!」
けれど宗二朗は腕をつかむ犀を振り払い、なおも弥一を殴り続ける。
一瞬、呆然とその光景を見詰めた。
が、次の瞬間、はじかれたように風呂場を出た。
誰か、誰か、ひとを呼ばなくちゃ。
着物を簡単に羽織ると、犀は店の主人のもとへと全速力で走っていった。








「痛っ!」
弥一はびくりと顔を引いた。
茜はその顔を無理やり押さえ込むと切れた唇の端を強引にぬぐった。
水を含んだ手ぬぐいに朱色が滲む。
弥一の顔は大きく腫れ上がり、唇や口の中が多数切れていた。
隣におとなしく正座している宗二朗の右頬もまた、微かだが赤く腫れていた。

真っ青な顔の犀に呼ばれ、店の主人である佐吉が風呂場に駆けつけたとき、弥一は失神寸前だった。
佐吉が怒鳴り込んでもなお手を止めない宗二朗。
一緒に駆けつけた茜もその様子に驚愕していた。
弥一から無理矢理引き剥がそうとしても暴れる宗二朗を、仕方なしに佐吉は殴ったのだった。

そして今、犀、宗二朗、弥一の三人は、佐吉の前に並んで正座をさせられていた。
「どうして、弥一を殴った」
佐吉は宗二朗を見据えた。
宗二朗は俯いた。
「弥一が犀に乱暴しようとしてたから・・・」
「本当か?犀」
佐吉は今度は犀に視線を当てた。
犀は戸惑い、瞳を揺らしたが、結局こくりと頷いた。
佐吉は溜息をついてから再び宗二朗に向き直った。
「だからってここまで殴るやつがあるか、馬鹿もん!この顔じゃあ客が取れねえじゃねえか!」
言いながら弥一を指差した。
弥一はびくりと身体を揺らした。
「弥一も弥一だ。犀を襲うだなんてなに考えてんだ!」
弥一は目を伏せた。何も言わなかった。
佐吉は再び溜息をついた。
「弥一の顔がみられるようになるまで、お前が弥一のぶんまできっちり稼ぐんだな、宗二朗」
宗二朗は俯いたまま「はい」といった。
膝に置かれた手は、硬く握られていた。
「わかったらとっとと飯食って店に出る準備しろ。弥一は店の中の手伝いをしてもらうからな」
佐吉がそう言うと宗二朗は無言で立ち上がりさっさと部屋から出て行った。
「あ・・・・」
犀はその後を追おうと慌てて立ち上がった。
部屋から出ようとすると、丁度あの小柄な少年、恭が、
廊下を進む宗二朗の背中を見つけて声をかけるところだった。
「宗二朗!」
宗二朗が無表情に振り向いた。
その微かに腫れた顔を見とめると、恭は小さく悲鳴を上げて駆け寄っていった。
犀のことはまったく目に入っていないようだった。
犀は廊下に足を一歩踏み出したまま、そのふたりの後姿を見詰めた。
「宗二朗!どうしたの?誰がそんなこと・・・」
そう言って頬に触れようとする恭の手をやんわりと制しながら、宗二朗は曖昧に笑った。
「たいしたことじゃないから大丈夫だよ・・・」
そう言った瞬間、宗二朗は犀の視線に気付き顔を上げた。恭ごしに目が合った。
そのまま少しの間ふたりで見詰め合う。
犀が声をかけようかどうか迷っていると、恭がいぶかしげに後ろを振り返った。
犀が立っていることに気付き、恭は犀を睨んだ。
犀は開きかけた口を噤んだ。
宗二朗は目をそらした。
そして背をむけると無言のまま店のほうへと歩いていってしまった。
それを「まって」と追いかける恭。
犀はそんなふたりの後ろ姿を複雑な気持で見つめていたのだった。







その夜、犀は客がとれなかった。
また来ると言った逸巳も今日は顔を見せず、
少年達がひとり、またひとりと指名されていくなか、犀はぽつりと格子の内側の隅に正座していたのだった。
「白柳」で働く男娼の少年は六人。
弥一と犀以外の、恭と宗二朗を含む四人の少年たちは全て、客に指名され店の奥に消えていった。
店を閉める時間が近づくにつれて、犀は焦りと同時に、確かに安堵を覚えていた。
こんな日が続いたら困る。
困るのは分かっているけれど、今晩は誰かに抱かれることなく眠れる。
多少賄いの量が減ろうが、いい着物を買ってもらえるためのお金が溜まらなかろうが、
借金を返せる日が遠のこうが、客をとらなくていいということはわずかだけれど、犀に安堵を与えた。
そんな複雑な気持で犀は最後まで、格子の内側でひたすら俯いていた。
「犀、もういいから、部屋あがって、寝な」
愚痴を言われるかと思っていたが、茜はあっさりとした声でそう声をかけた。
それが犀をほっとさせた。
ところが。
今、犀はあてがわれた部屋の障子を開け、そのままその場に立ち尽くしていた。
行燈の灯りがちらちらと静かに燃えている。
先に中にいた弥一は気まずそうに目をそらした。
「大丈夫だよ。もうなにかしようなんて思わないからさ」
ぼそりと、そう呟いた。
腫れ上がった顔が痛々しかった。
犀は障子を閉めると、ぎこちなく弥一の隣に敷いてある布団に足を入れた。
同じように布団に身を起こしていた弥一が口を開いた。
「布団、俺が敷いたんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「さっき、茜さんが、セイ、今日は客とれなさそうだ、って言ってたから」
「・・・・・・うん」
「セイ」
「・・・・・・顔、大丈夫?」
弥一が隣でびくりと身体を震わせた。
「じごうじとくだよな。俺。あの時宗二朗が入ってこなかったら、俺、止まんなかったかもしれないし」
「・・・・・・・」
「あのさ」
「・・・・・・・」
「ごめんな」
犀は俯いたままぎゅっと布団を握った。
「おれ、おれ、お前のこと、来たときからずっとみてて、友達になりたかったのもほんとなんだ」
弥一の声は涙混じりになっていた。
「でも、なんか、お前の肌に触ったら、つい、ヘンな気分になっちゃって・・・・。
あんなことして、ほんとにごめん。もう絶対に、絶対に、しない」
犀は手に籠めていた力を抜くと、細く息を吸って吐いた。
顔を上げ、横の弥一を見詰めた。
その唇はふるえ、目には涙が溜まり今にも零れ落ちそうだった。
確かにあのとき、宗二朗が入ってこなかったらどうなっていたかわからない。
それでも、犀はこの少年を、なんだか憎めそうにない気がした。
犀は微笑んだ。
「いいよ」
弥一は目を見開いて犀を見詰めた。
その拍子に涙が一粒目からこぼれた。
「ほんとか?」
犀はこくりと頷いた。
「僕も弥一と友達になりたい」
犀がそう言うと、弥一はごしごしと目元をこすり、うれしそうに笑った。


 
 
 
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