店にともる灯りが雨に霞み、雨音が歌や三味線、客を誘う遊女の声に混じる。
その夜遊郭には雨が降っていた。
そのせいだろうか、心なしか街を歩く客の姿も普段より少ないようだった。
逸巳が最後に店に顔を出してから四日がたち、犀は相変わらず客がとれない夜が続いていた。
雨はその犀の心を余計に重くする。
「白柳」の客は雨など関係ないのか、数少ない男娼の少年達は
いつものように指名されて店の奥へと消えてゆく。
このままだと犀は今夜も一人で過ごさなければならないかもしれない。
そう考えると犀は焦りとも不安ともつかない思いを感じるのだった。
ここ数日一人で夜を過ごすのがひどく寂しかった。
特に雨の降りしきる今夜は余計、一人で過ごしたくない気がする。
いつからこんなに弱くなってしまったのだろう。
両親が他界する前は毎晩一人で眠っていたのに。
犀は頭のどこかでそんなことを思いながらその場に立ち上がった。
もう誰でも良いから、抱かれることで寂しさを忘れるのでも良いから、
とにかく一人で色々と考えて眠るのが嫌だった。
ぬくもりが、ほしい。
犀は改めて決心すると、紅く塗られた格子の目の前に座った。
隣で客を惹いていた宗二朗が目を見開いた。
恭と、他にひとり、格子の内側に残っていた少年も驚いた様子で犀を見ている。
けれど犀はそれを気にしないようにして震える腕を格子の隙間から外へと伸ばした。
雨に滲む橙の灯りに犀の白く細い腕がぼんやりと浮かぶ。
隣の宗二朗が何か言いかけてやめた。
どれほどそうしていただろう。
実際にはたいした時間ではなかったけれど犀にはとても長く感じられた。
ふと通りを物珍しそうに歩いていた青年がひとり「白柳」の店の前で立ち止まった。
他の少年がしきりに誘い文句を並べるなか、犀も伏せがちだった顔を上げた。
その瞬間、青年は犀を見て微かに頬を染めた。
犀はどきりとした。
この青年は自分を指名するかもしれない。
青年は目を細めると、その足で店の暖簾をくぐっていった。
犀は緊張に手先が冷たくなるのを感じていた。
隣に座る宗二朗もどこか身を固くしているようだった。
後悔と少しの安堵が入り混じる複雑な気持で、犀は茜の声がかかるのを待った。
けれど。

「恭!客だよ!」

呼ばれたのは、恭の名だった。
犀は拍子抜けし、おもわず恭を見た。
恭は一瞬困惑した表情を浮かべたが、すっと犀に向かって微笑すると「お先に」と言って店の奥に消えていった。









「いち、にい、さん、しい・・・。あと三日」
犀は布団の中、小さな声で指折り数を数えていた。
遊郭一帯は寝静まり、雨の音がぱらぱらと響く。
犀は溜息を吐いた。
溜息を吐いた途端、なんだかとても孤独な気がして思わず涙が滲みそうになった。
きっと、逸巳に会ったからだ。
逸巳に会ったから犀はひと腕の温かさを、好きだと言ってもらえる心地よさを
覚え、あるいは思い出してしまったのだ。
そう犀は思い、再び溜息を吐いた。
「あと、三日か・・・」
犀が再びそう呟いて布団のなかで身を丸くしたときだった。
障子が開き、誰かが入ってくる気配を感じ犀は思わず布団の中から身を起こした。
なんとなく恐怖を覚えて犀は枕元を探る。
行燈に火を入れようとするが暗闇でうまくいかない。
「・・・セイ?」
その声と同時にマッチに火が灯った。
ゆらりとゆれた炎の灯りに照らされて立っていたのは、宗二朗だった。
犀はほっと息を吐いた。
「宗二朗・・・どうしたの?お客さんは?」
宗二朗は最後のほうにいつもの客が来て指名されていったはずなのだ。
けれど宗二朗はすっと視線を伏せると、「怒らせちゃってさ・・・」と、小さな声で言った。
「お客さん、帰っちゃったの?」
犀がそう聞くと宗二朗は少し困ったような表情を浮かべた。
「・・・そうなんだ。だからここで一緒に寝てもいい?」
その言葉に犀は顔が自然とほころぶのを止められなかった。


「今日はどうしたんだよ、セイ。珍しく客惹く気でいたけど・・・」
宗二朗は布団を押入れから引っ張り出しながら、よいしょ、と掛け声をかけた。
布団を畳の上におろすとその風で行燈の灯りがふっと揺れた。
「うん・・・。なんか、僕、ひとりで寝たくなかったんだ・・・」
その言葉に宗二朗は微かに目を見開き、そして微笑した。
「じゃあ、今晩は俺の客、帰っちゃって良かったかもね」
冗談めかしてそう言った宗二朗に、犀もうれしそうに笑った。
けれど次の瞬間ふと不安げな表情を浮かべると目を伏せた。
「僕、なんでみんなみたいにお客さんがつかないんだろう・・・」
宗二朗は布団の裾を静かに広げた。
「・・・そんなの、気にすることないよ」
犀はその声に戸惑いが混ざっているように聞こえた。
「・・・そうかな・・・。逸巳さんも本当に三日後来てくれるかわからないし・・・。
でも、でもね、僕、なんとなく逸巳さんのことは信じたい気がするんだ。すごく良くしてくれるし、それに、逸巳さんといると、どきどきするけど、ほっとするんだ。うまくいえないけど・・・なんか、へんだよね」
そこまで言って、なんとなく照れを感じ顔を上げると宗二朗が布団を敷く手を止め、
犀に背を向け布団の端を握りそこに立ったままでいた。
「・・・宗二朗?」
なんとなく不安になって声をかけると、宗二朗はかすれるような声で言った。
「・・・あいつは、良くないよ」
犀が意味を図りかねて首をかしげていると、今度ははっきりとした声が聞こえた。
「セイの客だよ。逸巳だよ!」
「・・・え?」
突然の宗二朗の口から逸巳の名がでて犀は目を見開いた。
けれど宗二朗ははっとしたように犀を振り返ると、どこか慌てたように付け足した」
「・・・あ、だから・・・客はあまり信用しないほうがいいってことだよ」
なんとなく自分の逸巳を信じる気持を否定されたようで犀は不安を感じ、それでも小さく反論した。
「でも・・・逸巳さんは他のお客さんときっとちがうよ・・・」
「・・・違わないよ」
そう返され、犀は少し意地になった。
「違うよ」
「違わない」
宗二朗も意地になっているのが分かったが、犀は退けなかった。
「違うもん」
「・・・っ」
宗二朗の顔が赤くなったと思った次の瞬間、犀は宗二朗に組み敷かれていた。
殴られる、そう思って犀は身をすくませ、咄嗟に目を閉じた。
けれど予想していた衝撃のかわりに訪れたのは、柔らかな、唇の感触だった。
犀は驚いて目を見開いた。
と同時に微かに開いた唇を割って、宗二朗の舌が入ってくる。
「ふ・・・」
口内を蹂躙され、思わず声が漏れる。
やっとのことで抵抗し、顔をよじって唇を外すと、目の前には宗二朗の真剣な目があった。
「好きなんだ。セイ。好きだ」
犀は顔を赤くしたまま何も言えないでいた。
「あんなやつ・・・逸巳のことなんか、信用するなよ」
そう囁いてもう一度口付けようとする宗二朗に、犀は必死で抵抗した。
「やっ、やだ!っ、宗二朗こそ、逸巳さんのことなんにもしらないのに、そんなことどうして分かるの!」
宗二朗はむっとしたように顔を離した。
「セイなんかより、俺のほうがずっと逸巳のこと知ってる!」
「っ、うそだ!そんなこと言って、逸巳さんのこと悪く言っても僕、信じない!」
意地になって抵抗する犀に、宗二朗は突然両手首をつかむと思い切り布団の上にたたきつけた。
「・・・っ」
思わぬ衝撃に犀は息を詰まらせた。
「うそじゃない!あいつは!逸巳は、セイの両親を殺したんだぞ!!」
言ってから宗二朗ははっとして犀から手を離した。
犀は抵抗など忘れ、呆然と宗二朗の顔を見詰めた。
「ぁ・・・、ごめ、俺・・・」
宗二朗はふらりと立ち上がると、困惑したようにそう呟いた。
「逸巳さんが・・・・?」
犀がそう言った瞬間、宗二朗は二歩、三歩、青ざめた顔で後ずさった。
「ねえ、宗二朗・・・?」
犀が呼ぶと、宗二朗はさらに青ざめ、慌てて犀に背を向けると逃げるようにして部屋を出て行ってしまった。
廊下を慌てた足音が遠ざかり、後には静けさの中に雨の音が残った。
犀は混乱した頭で窓のそとを降りしきるその雨の音を聞いていた。








 
 
 
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