4 一週間もすると瑞貴は大分ピアノに触ることになれた。 手の形も指の運びもまだまだぎこちないがそれでもノクターンの簡単な主旋律が弾けるようになり、 瑞貴は毎朝楽しみで仕方がなかった。 ピアノに魅かれてゆくのと同時に瑞貴は怜次のことを考える時間が多くなった。 以前に増して早朝の学校が好きになった気がしていた。 一方放課後は放課後で大抵純一と街をぶらつく。 強引に連れまわされることが多かったが、 入ったことのない店や行ったことのない場所、したことのない遊びをするのは新鮮だった。 自然に純一との距離も縮まり、瑞貴にとって放課後も楽しみな時間となっていった。 その日の昼休みも、瑞貴は純一と外で昼食を広げていた。 「あー、眠い。俺、このまま寝そうだよ」 昼を食べ終えた純一はそう言うと芝生にごろりと寝転んだ。 「俺は起こしてあげないよ」 瑞貴がくすりと笑ってそう言うと、純一は膨れたふりをして瑞貴を睨んだ。 「ひどいな、瑞貴」 「だって、遅刻してくる上に授業中も殆ど寝てるんだから、ここでさぼったって変わらないんじゃない」 「確かになぁ」 ぼんやりと空を見詰めてそう言う純一に瑞貴は再び笑いを漏らした。 すると純一は思いついたように瑞貴に視線をあてた。 「そういや瑞貴は遅刻してるところ見たことないけど、いつも何時ごろくるわけ?」 「うん・・7時半過ぎ・・位かな」 純一は目を丸くして瑞貴を見詰めた。 「・・・あのさ、ホームルーム、始まるの8時半だぜ?何のためにそんなに早く来てるんだ?」 瑞貴はどきりとした。 なぜか怜次のことは教えたくなかった。 秘密にしておきたかった。 「え・・えっと・・特に、意味はない・・かな・・・俺、朝の学校って好きなんだ」 瑞貴が内心うろたえながらもそう答えると、純一はどこか不思議そうな顔で「ふうん」とだけ言った。 瑞貴は嘘をついてしまった気まずさを紛らわすようにその場に立ち上がった。 「ほら。もうそろそろ教室戻ろうよ。本当にさぼっちゃまずだろ」 けれど純一は寝転んだままだるそうな声を上げた。 「うーん、俺はもう少しだけうとうとしたいんだけどな」 「もう少しって言ったってあと5分くらいで予鈴なっちゃうよ」 「その5分でもいいんだ」 純一はそう言うと目を閉じてしまった。 そのまま一向に起き上がろうとしない純一に瑞貴は苦笑した。 「じゃあ俺、先行っちゃうよ」 そう言って瑞貴が歩き出そうとすると純一は慌てて身を起こした。 「あ、こら。待てよ」 純一が瑞貴の手をつかんで軽く引き止めようとする。 けれどその瞬間、瑞貴はバランスを崩し、後ろから純一の上へと倒れこんでしまった。 「うわ!」 純一は驚きの声を上げながらも倒れこんできた瑞貴を間一髪で受け止めた。 「いった・・・」 身体は純一が受け止めてくれたものの、 ひじを芝生に打ち付けた瑞貴は無意識のうちにそう呟いていた。 すると後ろの耳元から純一が慌てた声で謝った。 「悪い!そんなに強く引っ張ったつもりなかったんだけど・・」 「あ・・俺もごめん・・純一のこと下敷きにしちゃって・・」 ひじの痺れに顔をしかめながらも瑞貴が振り向くと、 そこにはすぐにでも頬と頬が触れそうな距離に純一の顔があった。 その瞬間、純一の顔がほのかに朱に染まったのを瑞貴は気付かなかった。 純一は咄嗟に上の瑞貴を押しのけると、ぱっと立ち上がった。 「ほら、授業始まるんだろ」 そう言ってさっさと教室へ向かう純一の背中を、瑞貴は一瞬呆気にとられて見詰めていたが、 慌てて立ち上がると制服についた芝生をはらい追いかけた。 そうして玄関まで来たとき、瑞貴はそこで靴を履き替える人物を見てどきりとした。 俯いていて顔は良く見えないが色素の薄い髪。長い手足。 瑞貴が声を掛けようとすると、相手が靴をはき終え顔を上げたのでお互い目があった。 怜次は瑞貴を見ると微笑んだ。 その怜次が履いている靴は上履きではなく革靴。 手には学生かばん。 どう見ても今から教室にもどる様子ではなかった。 怜次はそのまま瑞貴に背を向けると玄関を出て校門に向かって歩き出した。 瑞貴はどうしようか散々迷った挙句、階段前の廊下まで来たところで立ち止まった。 「ごめん、純一。先教室戻ってて」 それだけすばやく言うと、瑞貴は引き止められる前に玄関へ向かった。 校庭のほうを見ると怜次はもう校門をくぐるところだった。 靴を履き替えるのももどかしく玄関を出た瑞貴に背後から純一の声が聞こえた。 「おい!お前がさぼってどうするんだよ―!」 けれど瑞貴はその声に振り向くことなく校門へと向かって走り出した。 「貴島君!」 校門をくぐった瑞貴が息を切らしながらも呼び止めると、怜次は驚いた様子で瑞貴を振り返った。 「あ、あの・・・なん、で、帰るのかな、と思って・・・」 瑞貴は一生懸命息を整えながらそう言った。 怜次は微かに目を見開いたまま瑞貴を見詰めた。 瑞貴はどこか居心地の悪さを感じた。 「あっ・・あの、早退、とか?どこか、身体悪いの?」 怜次は何も言わないまま瑞貴を見詰めている。 そんな怜次に瑞貴は不安を覚えた。 そして急にこんなふうについてきてしまった自分が恥ずかしくなった。 「・・ごめん。迷惑・・・だよね・・」 そう言って再び校門の方へと戻ろうとした瞬間、5時間目が始まるチャイムが響いた。 瑞貴はその場に立ち止まり、溜息をついた。 すると背後の怜次がくすりと笑った。 「授業、始まっちゃったみたいだね」 瑞貴が思わず振り向くと、怜次は微笑を浮かべて言った。 「俺の家へ来る?」 瑞貴は自分の耳を疑った。 「え・・・?」 「授業、もう入りづらいだろう?」 そう言って綺麗に笑う怜次に、瑞貴は身体が震えるのを感じた。 |
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