6 チャイムが鳴る。 しばらくすると三々五々、男子生徒たちが玄関から姿を現す。 瑞貴はそんな中校門の外で落ち着きなく立っていた。 同じ制服を着ているのに校門の外で待つ瑞貴を生徒たちはちらちらと横目で見ながら通り過ぎてゆく。 瑞貴は居心地が悪い思いで下を向きアスファルトを見詰めた。 瑞貴は怜次の家を出た後、純一に荷物を取りに来いと言われ、結局学校まで戻ってきたのだ。 戻ってくると授業は殆ど終わっている時間で、 瑞貴は教室に戻るわけにも行かず、校門の外で純一を待っていた。 「瑞貴!」 声がして顔を上げると、不機嫌そうな表情の純一が近づいてきた。 手には二人分の学生かばんがぶら下がっている。 「はい」 近くへ来るなり純一はかばんを瑞貴の胸に押し付けた。 「あ、ありがとう・・」 一歩うしろによろめきながらそれを受け取り、瑞貴は小さく礼を口にした。 けれど純一の表情が緩むことはなかった。 「どこに行ってたんだよ」 瑞貴は目を伏せた。 「・・・ちょっと・・」 「ちょっと、なに?」 純一の怒ったような声が上から聞こえる。 「俺、心配したんだ」 「ごめん・・・・」 「・・それで、どこ行ってたの」 瑞貴は困ったように横を向き純一の視線から逃れようとした。 「こっち、向けよ!」 純一の手が瑞貴の顎を捉え、まるで子供にするようにして正面を向かせた。 通り過ぎてゆく生徒の視線が痛い。 「ちょ、ちょっと・・・!」 瑞貴は恥ずかしくなって勢い良く横を向き、純一の手を外した。 外された純一の手は宙をさまよい、一瞬瑞貴に触れようとして、そのままおろされた。 「・・・・」 沈黙が痛かった。 瑞貴は観念し、小さい声でぽつりと言った。 「早退する、友達の姿が見えたんだ・・・」 「・・・それで?」 「気になって付いていったら、家に来ないかって言われて・・・」 「それで付いていったんだ?」 「うん・・・」 「授業サボってまでついていくほど気になった?」 瑞貴は狼狽し、目を揺らした。 「・・・・・だって、具合悪いのか、な、とか・・・」 純一の溜息が聞こえた。 「だったらなんで俺に言わないんだよ。なにかあったのかよ」 瑞貴はどきりとした。 怜次の唇の感触が思い出される。 途端、心拍が速くなる。 そしてふと、瑞貴は不思議に思った。 自分は男にキスされたのに嫌じゃなかった。 一年の頃告白されて無理矢理されそうになったときのように怖くなかったし、嫌悪感もなかった。 ただ、思い出すと酔ったような感覚と、身体が熱くなるのを感じる。 男に好かれそうな外見をコンプレックスに思っていた気持を思い出す暇もなかった。 「瑞貴」 名前を呼ばれはっと我に返ると瑞貴は無意識のうちに自分の唇にそっと手を当てていた。 純一を見上げると怪訝そうな表情を浮かべている。 ひとつ間をおいて純一は再び溜息をついた。 「いいや。もう。帰ろう」 そう言って歩き出す純一の背中を瑞貴は「うん」と小さく頷いて追った。 次の朝、瑞貴は緊張しながら階段を登った。 時間がたち、冷静になればなるほどに昨日あんなふうにキスをされたことが恥ずかしくてたまらなかった。 どんな顔をして会えばよいのだろう。 昨日のことは言わないほうが良いのか、それとも問うべきか。 けれどなにを。なにを聞けばいいのだろう。 そんなことをぐるぐると考えながら階段を上がっていた瑞貴はふと、 いつもと流れてくる音色が違うことに気がついた。 それは穏やかだけれどテンポのよいワルツだった。聞いたことがある。 怜次が弾いているのだろうか。 瑞貴は気になり階段を登る足を速めた。 音楽室を覗くと、やはりその曲を弾いているのは怜次だった。 相変わらずその長い手足と、朝の光を受けて光る大きなグランド・ピアノは眩暈がするほど絵になっている。 すると怜次が瑞貴に気がつき手を止めた。 瑞貴はどきりとした。 「おはよう」 すると怜次は何事もなかったかのように、いつもの綺麗な笑みを浮かべてそう言った。 「あ、お、おはよう・・・」 どこか拍子抜けした気分で返事を返すと怜次は再び曲の続きを弾き始めた。 瑞貴は戸惑いながらも教室の中に入るとドアを閉めた。 今日の曲を弾く怜次はラ・カンパネラをひくときとちがってどこか穏やかな表情を浮かべている。 瑞貴はとりあえず椅子へと腰掛けながら怜次へ聞いた。 「この曲は、なんていうの?ラ・カンパネラと大分違うけど・・・」 「・・好きじゃない?」 「あ、えっ、ううん。ラ・カンパネラも好きだけど、この曲も好きだよ。なんて題名?」 すると怜次はどことなく艶やかな笑みを浮かべて言った。 「秘密。俺が君のために弾く曲だよ」 「・・・え?」 「ヒントは、サティが作曲した曲」 「え、え?」 わけが分からず、瑞貴が首をかしげると、怜次は曲を弾き終え微笑んだ。 「さあ、ノクターンの続き、やろうか」 「って、聞いてる?」 その言葉に顔を上げると、目の前の純一の顔が不機嫌そうな色を浮かべている。 「あ、なに?」 「・・・また、考え事?」 純一は読んでいた雑誌を乱暴に棚に戻すとさっさと本屋をでていこうとしている。 瑞貴はその背中を見て溜息をついた。 どうも最近、純一を不機嫌にさせてしまうことが多いようだ。 今は放課後で、瑞貴はまた例によって純一の買い物につき合わされていた。 けれど瑞貴の頭をめぐるのは怜次が言った今朝の言葉や、昨日の口付けのことばかりだった。 今朝、怜次が弾いていた曲はなんと言う曲なのだろう。 自分のために弾くとは、どういうことなのだろう。 そこで瑞貴はふと思いついて純一を追った。 「純一」 瑞貴が追いつくと純一は歩調を緩めて瑞貴を見詰めた。 けれどその瞳に不機嫌な色は浮かんでいなかった。 ただ、そこに見えるどこか淋しげな色に瑞貴は微かな罪悪感を覚えた。 「あの、ごめんね。さっき話し聞いてなくて」 そう言うと純一は視線を前に戻して目を伏せた。 「・・・べつに。もう慣れたし」 瑞貴にはその言葉を皮肉ととって良いのかどうかわからなかった。 だから胸に生まれた罪悪感から逃げるように、他の話題を口にした。 「・・・あのさ、純一、この間買いたいCDあるっていってただろ。 俺も見たいのあるから今日買いに行こうよ」 すると純一は一瞬驚いたように瑞貴を見た。 「それは覚えてたんだ」 瑞貴は苦笑した。 純一は再び前を向くと言った。 「瑞貴、なに考えてるの」 「え・・?」 「最近ずっとぼうっとしてて、俺心配だよ」 瑞貴は戸惑った。 言おうか、どうしようか。 けれど、どんなふうに説明すればいいのだろう。 男と口付けを交わしたなどといったら軽蔑しないだろうか。 ためらっていると純一が先に口を開いた。 「悩みとか、あるなら言えよな」 そんな言葉をかけられ、瑞貴はひどく後ろめたい気持になりながらも 結局怜次とのことは言えなかった。 |
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