瑞貴はじっとCDのケースを見詰めていた。
その裏に並ぶ曲名をみても特にぴんと来るものはない。
「それ、聞いてみる?」
その声に顔を上げると純一が不思議そうな顔をして瑞貴を見下ろしていた。
今、瑞貴は純一の部屋にいた。
あのあとCDを買いに店へ寄った後、純一に誘われたのだった。

「“サティ集”・・・?クラシックか、これ」
純一は瑞貴からCDを受け取ると珍しそうにそのジャケットを眺めた。
「知らなかったな。瑞貴がクラシックなんかに興味があるなんてさ」
純一がCDを機械に入れ再生ボタンを押すと、静かな音色が流れ出す。
けれどその曲は聞いたことのないものだった。
「次の曲聞いてもいい?」
瑞貴がそう言うと、純一は「ああ」といって次の曲を再生した。
そうして何曲目かの曲が流れたときだった。
「あっ・・・」
この曲だ。瑞貴は思わず小さく声を上げた。
怜次が音楽室で弾いていた曲だった。
純一は怪訝な顔で見詰めた。
瑞貴はDCケースの裏を見た。
『ジュ・ドゥ・ヴ』
どんな意味なのだろう。
瑞貴はもしかしたらと思いCDケースの中に入っている小冊子を開いた。
今流れている曲の簡単な説明の頁。
それを見た途端、瑞貴は自分の顔がかっと熱くなるのを感じた。
『ジュ・トゥ・ヴ −お前が欲しい−』
怜次の言葉が思い出される。
俺が君のために弾く曲だよ、と。
「この曲がどうかしたのか?」
そう言って純一が冊子を横から覗こうとした。
瑞貴ははっとし、咄嗟に開いていたページを閉じた。
「あっ・・ううん・・ただ、なんか聞いたことある曲だなって・・・」
「ふうん・・・」
「う、うん・・あの、もう俺、聞いたから、今度は純一が買ったCD流そうよ」
瑞貴はなんだかこの曲を聴いているのが恥ずかしくなり
そう言ってCDを再生機から取り出した。
「あ、ああ・・いいけど・・」
純一はそういうと自分が買ったCDをかけた。
すぐにテンポの良い音色が流れはじめる。
瑞貴は自分を落ち着けようと純一に気付かれないよう細く深呼吸をした。
「そういえば瑞貴、この間すごく早く学校来てるっていってたよな」
歌詞カードに目を通しながら純一が聞いた。
「えっ、うん。そうだけど・・」
つい怜次を思い出し、落ち着きかけた動機が再び早鐘を打つ。
「いつもそんな早くいって何してるんだよ。まだ教室とか誰もいないだろ」
「えっ、・・そう、だけど・・・」
瑞貴は一瞬うろたえた。
ただ、音楽室で友達と話している。
そういえばよかったのだ。
けれどなぜか怜次とのことは誰にも言いたくなかった。
あの朝の時間を誰かに邪魔して欲しくなかった。
そんなことを考えながら口をついて出たのはやはり偽りだった。
「特に、何してるってわけじゃないんだ・・ただぼうっとしてるていうか・・」
純一が歌詞カードから顔を上げ不思議そうな顔で瑞貴を見詰めた。
「ふうん・・変わってるんだな」
瑞貴は嘘をついてしまってから再び後ろめたさに襲われた。
純一は再び歌詞カードに目を落とし、軽く曲を口ずさんでいる。
なんだかこの部屋にいるのが気まずい気がして瑞貴は無意識のうちに立ち上がっていた。
「あの・・・・俺、もうそろそろ帰るね」
純一が下から驚いた顔で見詰める。
「もうそろそろって・・・来たばっかりだろ」
「でも・・・今日、宿題あるし・・・俺、数学苦手だし・・」
「それならうちでやっていけばいいじゃないか」
「お、遅くなるといけないし・・」
そう言うと純一は不満そうな顔になりながらも立ち上がった。
「そう・・ならしょうがないけど・・」
「・・うん・・ごめん・・」
瑞貴はかばんを持ち申し訳ない気持で玄関へと向かった。
「じゃあ、また明日・・」
そう言って玄関を開けようとしたとき。
「瑞貴・・・」
純一の手が瑞貴の腕を捕らえた。
瑞貴が驚いて純一を振り返ると、純一もまた目を見開き、自分のしたことに驚いているようだった。
「あ・・・っ、ごめん・・なんでもない・・・・また明日・・・」
純一はそう言って手を離し目を逸らした。その顔は何かを考えているようだった。
瑞貴は不思議に思いながらも「うん、じゃあ・・・」と言って純一の家を後にした。

その思考も家につく頃には怜次のことでいっぱいになっていた。
















その音色は静かながらもはっきりと瑞貴の耳に届く。
朝の誰も居ない学校の玄関。
そこに小さく響く旋律は夢のようで。

『ジュ・トゥ・ヴ −お前が欲しい−』

次の日の朝、瑞貴は玄関で靴を履き替えたところでためらったまま立ち止まっていた。
俺が君のために弾く曲だよ、とは、どう捕らえて良いのか。
−お前が欲しい−
自分が欲しいということはやはりそう言う意味なのか。
そこまで考えると瑞貴の身体は熱くなり、鼓動が速くなる。
瑞貴はぎゅっと自分の制服の胸元を握り締めた。
どきどきしながら階段を登る。
音楽室の開いた扉からいつものように怜次の奏でる音が漏れる。
その姿を想像しただけで瑞貴はぞくりとするのだ。
ドアから中を覗けばやはりそこにはピアノを弾く怜次の美しい姿がある。

「おはよう」
怜次が手を止めて微笑んだ。
「おはよう・・」
瑞貴は緊張を悟られないように平静を装いながら挨拶を返した。
怜次はその顔に艶っぽい笑みを浮かべると再び両手を鍵盤の上へと下ろす。
奏でられる曲はもちろん「ジュ・トゥ・ヴ」だった。
瑞貴はいつものように怜次の向かいの椅子に腰掛けた。
それと同時に怜次がピアノを引きながら口を開いた。
「わかった?この曲の名前」
瑞貴の心臓が大きく跳ねた。
−お前が欲しい−
頬が熱い。赤くなっているだろうか。
するとぷつりと演奏が止んだ。
顔を上げると怜次が椅子から立ち上がった。
「き・・じまく・・」
口を開こうとしたが緊張でうまく言葉が出てこない。
怜次は近くまで来るとそのまま瑞貴の後ろに回った。
「俺のことも怜次って呼んでって、言ったのにな」
そう囁くと怜次は後ろからそっと瑞貴の頬に手を添え、耳の辺りをなで、髪をやわらかく掬い上げる。
瑞貴はぞくりと背筋に駆け上がるものを感じながら
椅子に座ったまま身を硬くしていた。
怜次が後ろでくすりと笑った。
耳元にあった手が顎を捉え、瑞貴の顔を横に向かせる。
と同時に怜次は顔を近づけ囁いた。
「俺、瑞貴のことが好きみたいなんだ」
瑞貴は恥ずかしくて目を斜め下に逸らせた。
怜次がさらに囁く。
「・・・瑞貴は?俺のこと、そう言う意味では好きじゃない?」
瑞貴は真っ赤な顔で眼を逸らしたまま必死に口を開いた。
「・・・わ、わかんないよ、俺・・・。でも、この間、貴島く・・怜次、に、キスされてイヤじゃなかった・・・」
怜次がふっと優しく笑う気配がした。
次の瞬間、瑞貴は頬に暖かいものを感じた。
怜次が瑞貴の頬に口付けたのだった。
その唇は一旦はなれ、そして今度は瑞貴の口へと落ちる。
怜次の熱い舌が流れ込んでくる感触に瑞貴は眩暈を感じた。
瑞貴がそのままゆっくりと目を閉じると、怜次の開いたもう片方の手が首筋に触れ、
さらにそこから滑り降りてネクタイへと掛かる。
驚いた瑞貴が思わず顔を離した時。

ガタン。

ふたりは音のした音楽室の扉のほうをはじかれたように向いた。
緊張した瑞貴が閉め忘れた扉。

そこには青い顔で立ちすくむ純一の姿があった。






ジュ・トゥ・ヴ


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