「純一・・・」

「なんだよ・・・早く来てるのってこういうことするためかよ」
「え・・・」

「男同士で気持悪い」

その純一の言葉に瑞貴は今まで熱かった体温が
背筋のほうから急に凍り付いてゆくのを感じていた。
すると背後から冷えた怜次の声が聞こえた。
「いまどき、男を好きになるか女を好きになるかで差別するなんて遅れてると思うけれど?」
「っ・・!」
純一は悔しそうに顔をゆがめた。
そして複雑そうな表情を見せるとそのまま背を向け音楽室を後にした。
急にしんとした音楽室で、瑞貴は呆然とするしかなかった。
怜次は瑞貴の微かに震える手をみとめその目に一瞬怒りを宿したが、
すぐに切なそうにその眉はひそめられた。
怜次は優しく瑞貴の手に自分の手を重ねると、頬にふわりと口付けを落とし、無言でピアノに向かった。
瑞貴の耳には怜次の奏でるノクターンが遠く響いていた。





瑞貴はひとり芝生の上に座って溜息をついた。
教室にいる間、純一は瑞貴と眼をあわせようともしなかった。
瑞貴も瑞貴でこちらから話しかける勇気などなかった。
昼休みになり教室から出て行く純一を見つけ、
もしかしたらと思っていつもの場所へ来てみたものの、そこにはやはり誰もいなかった。
瑞貴は深呼吸をしながら空を仰いだ。
そうしなければ目に溜まった涙がこぼれそうだった。
視界に入る木の枝が霞む。
瑞貴は手の甲でごしごしと目元を拭うと立ち上がった。
そのままどこへ行くともなくふらふらと足を進めた。
なんとなく怜次に会いたかった。

気付くと瑞貴は音楽室へ行く為に階段を登っていた。
けれど音楽室からは数人の生徒が談笑する声が聞こえてくるだけで、
そこには瑞貴の期待する音色は流れていなかった。
瑞貴は教室に戻る気にもなれず、もう一度外へ出ようと玄関へ向かった。
そこの下駄箱の間に見つけた人影に瑞貴はどきりとした。
「怜次・・・」
怜次は振り向き瑞貴をみとめると微笑んだ。
「やあ、瑞貴」
その手には学生かばんが握られていた。
「・・・今日も早退?」
「ああ・・うん。俺は授業出ても一度やったことだからあまり意味がないしね。
だから気が向かないときは家に帰って父さんが帰ってくる前に少しピアノを弾くんだ」
「そう・・・」
瑞貴は目を伏せた。
すると怜次がその瑞貴の頬に手を伸ばしそっと触れた。
「瑞貴・・・」
名前を呼ばれ顔を上げると怜次が顔を近づけ囁いた。
「朝、あんなことを言われて俺とキスをするのはもう嫌になった?」
瑞貴はどきどきしながら近づく怜次の目から視線を離せないでいた。
「そ・・そんなこと・・ない・・」
そう言ったと同時に怜次の唇が瑞貴のそれに触れた。
その唇はすぐに離れたけれど瑞貴の鼓動は収まることがなかった。
頬を染めて俯く瑞貴に、怜次はくすりと笑って言った。
「一緒に家へ来る?と、言いたいけれど、瑞貴はそんなにサボったら授業が分からなくなるからね」
瑞貴が小さく頷くと、怜次はもう一度掠めるようにキスをした。
「また明日。音楽室で」
驚く瑞貴に怜次はそう言うとそのまま玄関を出て行った。
瑞貴は真っ赤な顔のままその後姿をぼうっと見送っていた。
だからそのときは気付きもしなかった。
誰がその場を見ていたかなど。






放課後。いつもなら一緒に帰ろうと必ず声を掛けてくる純一は瑞貴の方を見ようともしなかった。
瑞貴は涙が滲みそうになるのを必死でこらえた。
何よりも軽蔑されたということが悲しかった。
せっかくできた友達だというのに。
瑞貴はぼんやりと席についたまま、気付くと教室には人がまばらになっていた。
仕方なく立ち上がるとのろのろと帰り支度をし教室を出た。
純一のことは考えないようにしよう。
怜次のことを考えるんだ。
そう思っても怜次のことを思えば自然とそのことを「気持悪い」と言った純一の顔が浮かぶ。
瑞貴は今日何度目か分からない溜息をつきつつ、下駄箱に手を掛けた。
「野田」
そのとき突然名前を呼ばれ振り返った瑞貴はぎくりとした。
ラグビー部のユニフォームを着て立っているその少年は、以前瑞貴が一年生のとき、
告白してきたうえに半ば無理矢理口付けを要求してきたクラスメイトだった。
「久しぶり」
そう言いながら松田というその少年は軽く右手を上げた。
「松田君・・・あの、何か、用?」
「なんだよ。そんなに警戒するなって」
松田は苦笑しながら頭をかいた。
「ちょっと部活抜けてきたら野田がいたから声掛けただけなんだけど」
「あ・・ご、ごめん」
「いや、俺が警戒するようなことしたんだもんな。・・・あのさ、ちょっと話せないか?」
瑞貴は一瞬戸惑ったものの、断るのも悪い気がして結局頷いた。

瑞貴は松田がここじゃなんだというので促されるまま近くの使われていない教室に入った。
埃っぽいにおいがする教室でふたりきり。瑞貴はどこか緊張した。
「・・・覚えてる?・・っていうか忘れるわけがないか。俺が告白したこと」
「・・うん・・」
瑞貴は松田に背を向けたまま頷いた。
「無理矢理キスしようとして悪かった・・・でも、それだけ好きだったんだ」
「・・・・・」
瑞貴は返答に困った。
そんな風に言われても戸惑いを覚えるだけだった。
「野田の外見が好きとか、・・・まあそれもあるけど、それだけじゃないんだ。なんだかわかんないけど、
知らないうちに野田が気になって、毎日野田のことばっか考えてた。
だからさ、抑えられなかったんだよ、自分が。気付いたらキスしようとしてた。
・・・振られた後も諦めるのに大分苦労したんだ」
松田が一歩、こちらに近づく気配がした。
「そう・・・諦めようとしたんだ。野田は男に興味なんかないと思ったから」
もう一歩、近づく気配に瑞貴は微かに警戒した。
「俺、今日見たんだよ。お前が男とキスしてるの」
言うと同時に松田は瑞貴の肩に手を掛けた。
瑞貴が驚いて振り向くと、松田の切羽詰った瞳とぶつかった。
「っ、俺じゃだめなのかよ」
肩にかかる手に力が入る。瑞貴は思わず身体をよじった。
「ちょ・・はなし・・」
途端、松田は瑞貴の両手首をつかんだ。
強い力に瑞貴は顔をしかめた。
「いた・・っ」
次の瞬間、瑞貴の頭は抵抗をすることすら忘れるほどに真っ白になっていた。
キスされていると自覚したのは松田の舌が瑞貴の口を割って入ってくる頃になってだった。
「んぅっ・・」
必死で顔をよじろうとするが松田の強い力で抑えられそれもかなわない。
そのまま瑞貴は黒板側に押し付けられる。
松田の手がネクタイにかかり、瑞貴は恐怖を覚えた。
怖い。口内を犯す松田の舌にも嫌悪しか感じない。
「たすけっ・・!!」
唇が離れた瞬間、どうにかして声を振り絞ってみたがその口もすぐに手で塞がれてしまった。
「少しの間でいいんだ・・我慢してれば気持ちよくなるからさ」
そう言って組み敷く松田を、瑞貴は青い顔で見詰めた。






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