慎ましく暮らす充哉の家と比べ、父親が議員である晋一の家はそこそこ大きかった。
当然家柄も厳しく、特に母親は神経質であった。
晋一には美祢(みね)という姉が一人いたが、あまり仲は良くなかった。
美祢は自分よりも綺麗な顔をして、何事もそつなくこなす晋一を妬んでいた。

そんな家の事情を知っていた充哉は真っ先にそのことを心配した。
二人のことが世間にばれたら晋一の家に迷惑が掛かると。
桜の下で唇を振るわせる充哉を、晋一は抱きしめ、なだめながらも内心は穏やかでなかった。
見られた相手が悪かったと思った。



それは晋一が充哉と付き合い始めて数週間の頃だった。
「晋一さん。私、ずっとあなたのことを見ていたんです」
そう言って頬を染めたその娘は、姉の友達で、幾度か家に遊びに来ていた女学生だった。
きりりとした眉と通った鼻筋が印象的な美しい娘だった。
けれども家の門の前で待ち伏せられ、いきなりそう言われた晋一は少なかれ驚いた。
「あの・・・姉はまだ帰りませんけど」
そんな晋一の口から出たのはどこかかみ合わない受け答えだった。
女学生はくすりと笑った。
「ええ。知っています。今日は踊りのお稽古があると言ってました。
だからこそあなたに思いを伝えに来たんです。
失礼かもしれませんけれど、あなた方ふたりはあまり仲が良くない様でしたので」
晋一は一瞬考えるように視線を斜め下に走らせたが、
次の瞬間には顔を上げ女学生を真っ直ぐ見詰めた。
「・・・すみません。ぼく、あなたの名前も知りませんので」
女学生は少し驚いたように目を丸くした。
「あら。そうだったかしら」
そして首を傾けながらにこりと笑った。
「百合子といいます」
何事もないように自分の名を告げる女学生に晋一は戸惑った。
晋一としては、先ほどの謝罪の言葉は百合子の思いに答えられないという意味も含めたつもりだったのだ。
百合子がいくら美しい娘であろうと、どんなに晋一のことを慕っていようと、
そのときすでに晋一の心には充哉しかなかった。
晋一は目の前でにこにこと微笑んでいる百合子に、もう一度はっきりと自分の思いを伝えた。
「すみません。ぼくはあなたの思いには答えられません」
すると今度はさすがに百合子の顔から笑顔が消えた。
「どうして・・・」
固まった表情のまま百合子はやっとそう言った。
笑っていないと、百合子はどこか冷たい印象を与える顔をしているのだと思いながら晋一は続けた。
「ぼくはあなたのことを良く知らないし、たとえ知ったとしても、ぼくはあなたの思いには答えられないんです」
一瞬、何かを言おうとして口を開いた百合子はそのままそこで沈黙し、
少し間をおいて焦ったような声を出した。
「でも、でもっ、・・・、あの、美祢さん・・・あなたのお姉さんのことなら気にしなくていいんです。
私がなんとかします。どうしてもお姉さんにことが知れるのが嫌だというのなら私、言いません」
百合子は、百合子と付き合うことで晋一と美祢の仲が余計に悪くなるのを
晋一が嫌がったのだと思ったらしかった。
「姉のことは関係ないんです。・・・けれどすみません」
晋一は頑なにそう言った。
「じゃあ・・じゃあ何故・・・他に付き合っているお方か、思いを寄せるお方がいるんですか」
もう一歩で取り乱しそうになっている自分を押さえるようにしながら、百合子はさらに晋一に詰め寄った。
晋一は付き合っているものがいるというべきかどうか悩んだ。
けれど少しでも充哉とのことを知られる危険性は低いほうが良いと思い、
どう言えばよいか考えた末にはっきりと口を開いた。
「すみません。・・・ただ、ぼくはあなたに興味がないんです」
その言葉を聴いた途端、百合子の頬がかっと染まった。
「っ・・・!」
百合子は羞恥と怒りが入り混じったような表情を見せると、晋一に背を向け、
何も言わずその場を立ち去っていってしまった。
晋一はその背中を少し申し訳ないような気持で見詰めていた。



その女学生、百合子に充哉とのことを見られたということは、晋一に少なかれ不安を残した。
姉の美祢と友達だということがさらに不安を掻き立てる。
晋一はその不安を充哉に悟られないようにしながら、
明日の放課後は学校の弓道場の裏の林で会おうと約束をして別れた。








弓道場の裏の林は桜林の土手のように華やかではなかったが、
杉の香りが満ちるその場所を、晋一は嫌いではなかった。
その上薄暗くどこか湿った香りのするそこは、人目を忍んで誰かに会うのには丁度良いと思った。
「・・・晋一・・・」
晋一をみとめると充哉は心配そうな表情を浮かべてそう呟いた。
晋一はそんな充哉を引き寄せると抱きしめた。
「大丈夫だよ。充哉。きっとなにも起きない。誰もぼくらのことを邪魔なんかしない」
その言葉に充哉は晋一の肩口に頬を付けたまま小さく頷いた。
晋一は充哉のそのすべすべとした頬に手を添え、しばらくその感触を楽しんだ後そっと口付けた。
その口付けは知らず知らずのうちに深くなり、気付けばお互い貪るように舌を絡めていた。
弓道場からはとん、とん、と、矢が的を穿つ音が遠く響く。
晋一は口付けながらそっと充哉を杉の木の幹に押し付けた。
口を離すとそこから銀の糸がひく。
充哉は惜しむように晋一の唇を追って頭を浮かす。
その半開きの唇からは舌が物ほしそうに覘いていた。
それは無意識だったらしく、自分の行動に気付いた充哉は頬を真っ赤に染めすぐに舌を引っ込めた。
けれどそれはすでに晋一の劣情を激しく煽った後だった。
晋一はもう一度充哉に口付けるとそのまま充哉の学生服へと手を掛けた。
充哉は反射的にその手を止めようとしたがすぐに力を抜いた。
その肌蹴られた胸に愛撫が散る。
「あ・・・っ」
置き去りにされた口からは押さえきれない声が漏れる。
晋一はズボンの前を肌蹴、充哉自身に触れた。
「んっ・・ぅ・・し、んいちっ・・」
充哉はひときわ大きく上がりそうになる声を懸命に抑えようとしながらも晋一の名を呼んだ。
晋一は尚も充哉の胸に愛撫を施す。
充哉はそんな晋一に必死で言葉を紡いだ。
「し・・いち・っ、くちっ・・あぁっ、くち、塞いで・・・声、出ちゃ・・んっ」
晋一は一度充哉の口を手で塞ぐと、今度は唇を胸から首筋、首筋から唇へと移動させ、
目の前で充哉の熱に潤む瞳を見詰めるとそっとその口を塞ぐ手を外し、代わりに深く口付けた。

そのまま二人は思うままに身体を重ねたのだった。









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