あくる日も、来るだろうか、来ないだろうかと気を揉んでいた晋一は
扉の開く音にほっとしたような緊張するような複雑な思いを覚えた。
昨日、充哉が帰る間際、彼を呼び止めてよかったと思った。

扉を開けてそろりと庭へ足を踏み入れる充哉。
緊張しているのか、その動きにはどこかまだぎこちない感がある。

「おはよう」
晋一がそう言いながら微笑むと、すこし緊張も解けたのか、今日は何も言わなくても晋一の隣に腰掛けた。
しばらくお互いそのまま見詰め合った。

晋一の心にふたたび疑問が湧き上がる。
―充哉は本当に自分のことを覚えていないのだろうか―
目の前の、ほのかに緊張した面持ちの充哉は、今自分と見詰め合って何を思っているのだろう。
覚えていないのなら何故ここへ来てくれるのだろう。
何故何もたずねないのだろう。
この、時間の止まってしまったような空間や、朽ち果てた家や、季節外れの散らぬ桜を、
充哉は不思議に感じないのだろうか。
晋一は、充哉に前世であったことを覚えていないかと聞きたかった。
けれど目の前の充哉を見ているとなぜか分からないけれど聞けなかった。

ふと充哉が視線を逸らした。
そして立ち上がると数歩桜の前へと歩く。
風が吹き桜が吹いた。
充哉は寒いのか、両手で自分を抱くとぶるりと身震いをした。

「寒いの?」
言いながら晋一は自分もそっと立ち上がった。

「あ・・・うん。もうこんな薄いワイシャツ一枚じゃ寒くなる季節かな・・・」
華奢な身体。
その首が振向く直前、晋一は充哉を抱きすくめていた。
途端、充哉の顔が耳まで赤くなるのが分かった。
「ちょっ・・・!」
そう言って必死に腕から逃れようともがく充哉。
晋一は少し悲しい思いがした。
やはり、充哉は自分とのことを覚えていない。
けれどそれでも、この腕の中の充哉を離したくなかった。
ここで腕を離したら充哉はもう二度とここへは着てくれない気がした。

「寒いんだろう?こうしていたら暖かいかもしれないよ」
晋一がそう囁いても、充哉はなおも抵抗を緩めい。
「だ、大丈夫だから、もう、寒くないからっ・・・」
晋一は自分の胸に染みをつくるかのように広がりそうな悲しみを抑えて、腕に一層力を込めた。

「友達になって。充哉」
囁いた自分の声が今にも泣き出しそうなことに晋一は気づいた。
充哉はぴたりと抵抗することをやめた。

暖かい充哉の身体。
晋一は確かめるように、鼻先を充哉の髪にうずめた。





それからというもの、充哉はよく晋一のもとを訪れるようになった。
何をするでもなく、二人で桜を眺めた。
充哉の緊張もだんだんと解け、微笑む顔を良く見るようになった。
時折隣ではにかむ充哉をみると、このまま組み敷いてしまいたいという衝動に駆られる。
けれどそんなことを出来るはずもなかった。

ひとつ晋一が気付いたことが、充哉と友達でいる限り、自分は『解放』されることは
ないのではないかということだった。
『心を通わせた時点』というのが、どんなことを指すのかははっきりしないけれど、
少なくとも今の状態ではないと思った。
充哉と時間を過ごせるならばそれでもいい。
そう思うと同時に、晋一は不安を覚えずにいられなかった。
もし、晋一が歳を取らないということに充哉が気付いたら?
時がたつにつれ、充哉は確実に歳を取る。
けれど晋一は今の、十八歳の身体のままなのだ。
そうしたら、充哉はもうこの屋敷に寄り付かなくなってしまうのではないか。

晋一の家族がそうだったように。





そんな日々が続いたある日だった。
ふたりはいつものように縁側に座り桜を眺めていた。
晋一は、毎日毎日尽きることなく心の底から湧き上がる不安に、
ほとんど疲れきっていた。

「なんだか、ここに来ると夢をみているみたいだな」
充哉がぽつりとそう言った。
晋一は一瞬その言葉にはっとしたが、ああ、と思った。
充哉も不安なのかもしれない。
充哉にすれば、不思議だらけで今にも消えてなくなりそうなこの空間。
その不安は、自分を、『晋』を失うことへの不安ではないのか。
少なくとも充哉は自分を慕っている。
晋一はおだやかに微笑んだ。
そして縁側から腰を浮かせ、ゆっくりと桜の木に近づいた。

「・・・充哉は、何も聞かないんだね・・・」
充哉が背後で息を呑む気配がする。

「気に、ならない?」
そう言って振向くと、晋一は桜の幹に背を預け、充哉に手を差し出した。
「近くにおいで」
充哉が緊張する様子が見て取れた。
充哉は真剣な目をして立ち上がり晋一の言ったとおりそばまで来た。
その充哉の両手を取ると晋一は桜を見上げた。

「この桜、全然散らないだろう?」
繋いだ手にびくりと振動が伝わった。
そして充哉もつられるようにしてゆっくりと桜を見上げた。
晋一は気付かれないように息を吸う。

「ぼくはこの桜と一緒に、永遠を生きているんだ」
充哉が自分を見詰めるのが分かった。

「それって、どういう・・・」
晋一は充哉を見ずに言った。
「ぼくはもう、何十年、いや、何百年生きているか分からない」

充哉は黙っていた。
しばらくふたりの間に沈黙が流れた。
充哉が繋いだ手を振り切らなかったのがせめてもの救いだった。
それでも晋一は耐え切れずに口を開いた。
「・・・家族も友達も、みんな、ずっと昔に死んだんだ。・・・ずっと、ひとりなんだ」

「・・晋・・・」
充哉の声が聞こえ、晋一は視線を充哉に戻した。
戸惑いを浮かべた表情が晋一を見詰めていた。
晋一は、その瞬間衝動を抑えることをしなかった。

手に力を込めて体勢を入れ替え、充哉を木の幹に押し付けた。
充哉が目を見開く。
晋一は顔を寄せ囁いた。
「充哉は、ぼくを解放してくれる?」
晋一は感情が赴くまま、充哉に口付けた。
久しぶりに味わう充哉の唇に、晋一は酔ったような感覚を覚えた。

けれど次の瞬間、晋一は思い切り身体を突き飛ばされ、一瞬にして我に返った。
混乱した充哉と目があった。
けれど充哉はすぐにその視線を逸らすと、一気に駆け出し、門から出て行ってしまった。

晋一は呆然と、木戸が閉まる鈍い音を聞いた。






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